京都市で造形の製作や模型制作をお考えなら京都市南区吉祥院の百寶堂(百宝堂)へお任せください。立体造形や立体看板、FRP製品の企画、設計からの注文も承ります。

京都市で造形の製作や模型制作をお考えなら京都市南区吉祥院の百寶堂(百宝堂)へお任せください。立体造形や立体看板、FRP製品の企画、設計からの注文も承ります。アクセスマップへ9:00~18:00(定休日は土曜祝日)お気軽にお問い合わせください。【tel: 075-681-1861】
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京都市での造形製作や模型、立体造形の企画はおまかせ。百寶堂(百宝堂)のよくある質問
その3 即決アイデア                     2017.5.2更新
花博の蓮
東京オリンピックに次いで、再び大阪で万博を誘致するという話題を耳にしました。大阪万博ではありませんが、1990年の大阪花博で松下館の展示物の製作を致しました。 以下、社長談
「花博と言えば古い話かとおもわれますが、つい最近の事のように覚えています。
パビリオンを受け持った企業が建物から内部の展示や運営など、アイデアを競って企画を考えます。そしてメインとなる展示の具体的な仕様を考えるところから製作、設置、メンテナンスを製作業者に依頼します。
事前の打ち合わせもなく関係業者が集まる会議に呼ばれました。会議中には弊社に関わる部分の議題も取り上げられず、分からないまま会議が進んで行きましたが、終わり際に「百寶堂さんは終わってもそのまま残っていて下さい。」と言われ、会議後に個別に展示物の相談を受けました。 その場で製作のアイデアを打ち出したところ、それが採用されて受注の運びとなりました。
メインとなる蓮の花はゆっくり開いていくという演出があり、可動部分が多いので、お客様ははじめは花びらを5弁で考えておられましたが、私なりに少なく思い迫力や華やかさから考えると16弁必要だと思い提案しました。はじめは心配されていましたが「百海さんは彫刻もやられているので全てお任せします。」という言葉を頂き製作に至りました。写真のハスの花がそれです。」

会期中は毎週メンテナンスを行っていたそうです。
その2 飛び込み営業                    2017.4.18更新
交通管制センターの模型
街並の部分は今とさほど変わらないと思いますが、管制センターの部分の 大きなモニターは電光掲示板のような仕組みでしょうし、磁気テープの大きなリールが二つ付いた いわゆる「昔のコンピュータ」のように見える装置もあり時代を感じさせられます。
以下、社長談
「模型の仕事を広げていこうと思い立ち、京福電鉄や電通、日新電機等の大手企業に 得意の飛び込み営業で売り込んでいく日々が続きました。
そんな中で立石電機(現オムロン)に製作の依頼を頂いたのがこの模型です。
昭和48年頃に1/20のサイズで製作しました。
半分が想像の街並でもう半分が交通管制センターの縮小模型となっており 写真左奥の黒いモニター部分には京都市の地図を透明の板にプリントしています。 ボタンを押すことにより、信号が順次点滅していく仕組みになっています。
お客様が市内の交通量がこのモニターで一目でわかるようなシステムを提案される為の模型で、 このシステムが京都府に採用され、貢献させて頂きました。」

昭和48年といえば、私が生まれているか、いないか…
その1 はじまりはじまり                 2016.10.14更新
写真中央のベレー帽をかぶった青年は24才の頃の社長です。
当時、立命館大学の4回生で夜間は大学に通い、昼間は工務店に勤め建築模型の仕事に携わっていました。
京都よりローカル線に揺られて、はるばる北海道の室蘭にたどり着いたときの一枚だそうです。
この後、となりで一緒に写っている方の紹介で、室蘭青少年科学センター準備室の局長を紹介して頂いたそうです。
もともと具体的な商談で訪れたわけでは無かったみたいなのですが
60坪ほどのスペースで何かやりたいとの話が出てきて、社長がその場で持っていたスケッチブックに室蘭のジオラマのアイデアを描いて見せたところ
局長が気に入って下さったらしく、即採用となったとの事です。
帰りは飛行機で帰ったと、この話をするたびにいつも自慢しています。
室蘭での仕事が好評となり、この次は旭川の科学館、その次は東京と、どんどん仕事がつながって行って、あちこち忙しく飛び回る日々が続いたそうです。
勤めていた工務店では、ボリューム的にも技術的な面でもまかないきれなくなり、昭和38年1月に百寶堂模型株式会社を設立という運びとなったそうです。

この画像は写真のコピーのコピーをスキャンしたもので画質は悪いです。
写真を探してもらいましたが出てこない。どこに行った分からないみたいです。それもそのはず(?)57年前の写真…ホンマかいな…
まだまだ出てくるオモシロばなし
弊社社長のオモシロばなしをアップしていきます。
乞うご期待!